渡邊和己(ねんど人形写真作家)

地域に伝わる物語をねんどで立体化し、実際の伝承地を背景にした写真を撮影して紹介する『ねんど人形写真作家』渡邊和己さんをご紹介します。


プロフィール

1961 年、大分市鶴崎生まれ。1986 年に入社した県内の印刷会社では広告写真を担当。2002 年に独立し神奈川県へ。フリーカメラマンとして活躍しつつ、オリジナル作品「ねんど人形写真」を考案。関東圏、山陰、北海道などでの実績を重ね、2016年夏に大分県に帰郷。「子どもに夢を伝えられる仕事」を心がけている。



原点は円谷英二監督の言葉

『ねんど人形写真作家』の渡邊さんは、地域に伝わる物語をねんどで立体化し、実際の伝承地を背景にした写真を撮影して紹介する活動をしています。現在は大分市の地域おこし協力隊として、佐賀関町で地域芸術振興に力を注いでいます。昨年は、佐賀関に伝わる神話『神々の海』と『鬼八伝説』の冊子を完成させました。『地域独自の文化は温故知新にあり』をテーマに、作品を作り続けていますが、活動の原点は特撮映画の円谷監督の言葉でした。

幼い頃から漫画や特撮が大好きで、今まで買い集めた漫画は3,500 冊。今でも自宅に保管されています。9 歳の時に手にした『ぼくらマガジン』に掲載されていた円谷英二監督のメッセージ『子どもに夢を』に心動かされ「僕も子どもに夢を伝えられる人になりたい!」と漫画家を志すようになりました。漫画のジャンルは好きなものを集めた怪獣・特撮・お笑い系。ノートに漫画を描いては友達に読ませていました。学生時代は美術が得意科目で絵には自信がありました。河童の話の漫画を出版社に持ち込んだこともありますが、物語を考えることが苦手で漫画家の道を断念することに。



庄内神楽で神話・民話の魅力を知る

熊本商科大学に進学してからは、プロレス研究会を立ち上げ、リングネーム『ボンソワール渡邊』としてエレガントなファイトを展開。後輩には、後にFMW プロレスのエースとなるハヤブサ選手もいました。大学卒業後は大分に帰省し印刷会社に就職。カメラマンへ。カメラアングルの決め方や見せ方など漫画を描いていたことが写真撮影にも活かせました。神話・民話に触れるきっかけとなったのは庄内神楽のカレンダー撮影。スサノオノミコトとヤマタノオロチの演目はまるで特撮映画のようで、漫画・特撮好きの渡邊さんにとってより力のこもった撮影となり若手カメラマン時代の代表作となりました。

 

 

42 歳で独立し拠点を神奈川に移すと、活躍しているカメラマンは撮影の中で何か1つ特技を持っていることに気づきます。そこで、子どもの頃から大好きな漫画・特撮の世界をねんどで表現することに決めました。ねんどサークルに入り、ねんど人形作りを学び、最初のねんど写真は横浜港開港 150 周年記念の作品展で出品したペリー提督。SNS にアップすると島根や鳥取の神話・民話イベントにも呼ばれるようになりました。



人生の転機 親友の死

充実した毎日を過ごしていましたが 50 歳を過ぎ転機が訪れます。大学のプロレス研究会の後輩であり、親友のハヤブサ選手が 2016 年 3 月に他界。自分の年齢と今後の人生を考え、ふるさと大分で『ねんど人形写真作家』として何かできることはないかと思い、大分市が募集していた地域おこし協力隊に応募。合格し 2016 年 8 月から現在まで大分市佐賀関で地域おこし協力隊の活動をしています。



子どもに夢を

「今後の目標は、大分と日本の昔話をテーマにしたねんど写真絵本を出版すること、そのために、もっとたくさん作品を作って行きたい」と語る渡邊さん。2019 年の夏には地域おこし協力隊の任期は終わりますが、その後の活動拠点も大分県。大分の神話・民話、歴史にまつわる作品をこれからも発表予定とのこと。「自分が住んでいる場所が神話・民話の舞台となっていて今に繋がっていることがわかるとワクワクします。子どもたちが地元を見る目が変わり楽しくなるように、ねんど写真作品を作り続けていきます」と語る渡邊さんは、9 歳の時に刺激を受けた言葉『子どもに夢を』の通りに未来に向かっています。

 

インタビュアー・文

カボスひろし

 

 



動画で語り部

大分県大分市佐賀関木佐上地区で語り継がれる鬼八伝説を、ねんど人形写真で再現。


メイングオブねんど人形

ヘラを使って整える

イメージあった色のねんどを作るところから始まります。市販のものでは色は限られるので、全てオリジナルで色つきねんどを作ります。ねんどができれば、ヘラを使って作成開始。

顔から作る

一番最初に作るパーツは頭部です。特に顔が一番難しいところ。イメージに合わなければ何度も作りなおします。

体・服を作って完成

頭部の次は胴体や服を作ります。服のシワも再現して完成です。